17 Feb 2011

違い

最近よくチェックしているクローデン葉子さんのブログ「世界級ライフスタイルのつくり方」。
彼女は京大→電機メーカー→商社(海外勤務含め)→仏INSEAD MBA取得後、オーストラリア人の旦那様とシンガポールやロンドンにて生活、という文字通りグローバルなバックグラウンドをお持ちの方。ライフステージにあわせ、住む環境や仕事を国というカテゴリーにとらわれることなく選択する、という姿勢にはとても共感できるし、素敵だと思います。

ブログでは様々な分野に関する記事があり、その中でも特に共感できたのがこちら

一般的に、日本では「違うこと」=「よくないこと」とみなされる傾向が強いです。この価値観は日本の地理的・文化的背景や国としての教育方針が影響しているものと思うけれど、それにしても皆が皆同じであることが普通であると考える社会は、私自身とても窮屈に感じており、彼女が言う「しっくりこない感」には非常に共感できました。

例えば、最近流行りの(?)「空気を読む」という言葉。状況によっては周囲に合わせたり、共調することは大事だと思う一方、それが単なる同調(=考えなしに相手に追随する)を強要するような場合も多い。自分の頭で考えることなく、(もしくは自分なりの考えを持っていたとしても違う意見の表明による衝突を避けるため)、だれかの意見に従うという傾向は社会全体に大きな悪影響をもたらすと思います。

私が海外に出ていくのが好きな理由は、やはり「違い」との出会いに魅力を感じるからなのだと思います。ある社会ではDiversityが一般的であり、国籍・人種・宗教・価値観などあらゆる面において違うことが当たり前とみなされている。そんな環境に身をおくことは非常に刺激的だしわくわくする。
また、ある社会では自分が完全にminorityであり、どこを歩いても宇宙人扱いされた。それはそれでストレスもあったけれど、「違い」を超えて現地の人々と友情が芽生えた瞬間はとても嬉しかった。

「違い」は差別や対立などの原因であり、これまで、そしてこれからも人間の歴史において大きな課題であり続けるのだと思う。それをいかに乗り越え、「違い」を認め合える社会を作れるか。ブログを端にそんなことを考えていた、アンカラの夜。


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