26 Dec 2010

ジャーナリズムの新しい形?

Wikileaksによる外交文書の公開が世界的に議論を呼んでいます。



2007年、Wikileaksは国家やその他組織によって隠されている重要な情報を明らかにすることを目的とし、ジュリアン・アサンジ氏によって設立されたそう。設立の背景となったのは、アサンジ氏が故郷であるオーストラリア在住時代、政府の腐敗・政治家による情報隠蔽・圧力をかけられたメディアの存在などに危機感を抱いたためとされています。
一連の暴露劇に関し、以下2つの観点に注目したい。


1.情報源
Wikileaksが問題視されるきっかけとなったのが、バグダッドで撮影されたアメリカ軍による一般人殺害の映像。(http://collateralmurder.com/)これはブラッドリーマニング上等兵によって、約25万件の米外交公電と共にWikileaksに提供されたといわれています。彼が情報を提供した理由―それは軍による、戦争を盾にした人権侵害の事実を世間に知らしめる為ではないかと思います。即ち、政府・軍・大企業等の様な組織が何らかの不正・不道徳な行為を続けている限り、それら情報をWikileaksに提供する者はいなくならないと考えます。
現在米国を初めとする各国政府・組織はアサンジ氏やWikileaksの口座の凍結などにより活動阻止を試みているようですが、そもそもの情報源がなくならない限りWikileaksの様な活動は止めることができないでしょう。Wikileaksには現在でも毎日約1万件の文書が届くと言われています(勿論中には週刊誌に載っているゴシップのような情報も沢山含まれているだろうけれど)。この事実は、Wikileaksが信念として掲げている「組織が金をかけてまで情報を隠そうとしているというのは、その情報を世に出せば社会的利益がある」という想いを共有する市民がそれだけいることを表しているのではないでしょうか。政府はその事実を認識すべきだと思います。


2.発信者としての責任
Wikileaksは、情報の機密性から情報源の秘匿に尽力しています。その為、情報の信憑性・公開される情報の選定プロセス・その情報の前後関係などが不明であるという問題点があげられます。
言うまでもなく、大衆の信頼がなければメディアとしての存在価値は低い。だからこそ、新聞・雑誌・TVなどの媒体は取材過程や情報源を明らかにしており、間違いがあればすぐに訂正とお詫びを行っています。それに対し、Wikileaksはこれまでのメディアが当然負っていた情報を伝達する者としての責任についてはどう対処するつもりなのか、謎です。インターネットという検閲・校正のかからない媒体を用いる以上、既存のメディア以上にWikileaksには責任が求められると考えます。
アサンジ氏は米タイムズ紙のインタビューにおいて「不正な行為をしている組織を公共の監視下におく」という哲学を語っており、それにより透明性を確保した公正な社会を作る、という目標自体は素晴らしいものだと思います。特に、今後は中国やロシアなど閉鎖的な国の機密文書も公開したいと語っており、それらについても注目していきたいです。
一方で、彼らの活動が今後国際関係や安全保障などに与える影響は大きくなると考えられる為、新たな形のジャーナリズムを体現する者としての責任を明確にしてほしいと思います。さもなければ、単に国際社会を混乱させるだけの暴露団体に落ちぶれてしまうのでは。


ちなみに、Wikileaksが事前に情報を提供していたのは英ガーディアン紙、米ニューヨークタイムズ紙、独シュピーゲル紙、西エル・パイス紙、仏ル・モンド紙であり、日本のメディアは含まれていないそうです。Wikileaks関連報道が日本ではかなり少ないことからも、日本がいかに世界の情報から隔絶されているかが窺えます・・・(その間日本では市川海老蔵さんに関する報道ばかりであった(-_-)。。